全世界の処女・童貞たちに告ぐ。セックスとは性器の交わりを意味するのではない。① 〜レイプされた彼女を心から愛する者が悲しみから学んだこと〜

セックス 

22歳になった今でも、つくづく人を惹きつける特別な言葉だと感じる。

私の性への目覚めは、小学校の友人から「せっくす」という行為があることを初めて聞いたときだ。はじめは全くなんのことか理解が出来なかった。その後、カブトムシの交尾、それと全く同じ事を人間がすることに驚愕。そこから一輪車やのぼり棒に乗るだけで得体の知れない快感を股間に覚えることから徐々に目覚めていった。

 

中学生になると、インターネットで動画を見れることを学ぶ。

親が外出してる時を狙って、家に一台しかなかった母親のパソコンを開けて「エロ動画 セックス」と打ち込む。

そこで腰の振り方は学んだが、「履歴」という二文字の存在は皆目想像もしていなかったのは今となっては良い思い出だ。

 

話が長くなったが、これ以上私の性の黒歴史を世界に晒しても何意味なので本題に入る。

 

要は、男は皆ちんちんの下僕(しもべ)なのである。

老若問わず、みんな3〜14センチ程度のタンパク質の塊に行動が支配され、人生を大きく変えられてしまう。最早、ちんちんが本人で、残りの全てがちんちんの臓器なのかもしれない。それくらい男にとってちんちんは重要なのだ。

 

 

 

心の中を駄文を通して世界にさらけ出すということ 

はじめまして。sekenshirazutanです。

 

こんな悶々と心の中に溜め込む得体の知れないエネルギーをどうにかしたい。

 

そんな思いが積もりに積もり、ではどうやって? そう考えたときに浮かんだ方法が、     

           「取り敢えず目に見える形で世に出す」

                              ということでした。

 

同じ車両に乗った誰かも知らない他人の他愛もない会話。

ふと手に取った雑誌に書いてある言葉。

 

 この世の中には腐るほどの言葉が溢れていて、無意識であればその殆どは意味をなさないまま終わりです。でも生きてると案外そんな自分にとって無意味な言葉であるほど、困った時のヒントになるなんてことがあります。

 

 このブログも、かる〜く人生に疲れて「絶望」なんて単語を検索して来たときに見つけて、読み終わったら取り敢えず明日も生きてみるか〜 なんて思えるような心通う場にしていきたいと思います。